篠山紀信 / KISHIN SHINOYAMA

三島由紀夫の家 / The House Of Yukio Mishima (1995 First Lot) (Used)

Cat No: B41017-02
Format: Photo Book
File Under: Japan,Book,Used Book Selection
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2,980円 (会員価格 2,980円)


『その家は25年前、彼が出発した朝そのままに静謐のうちに守られていた。篠山紀信一気呵成の撮り下ろし!現代文学に屹立する三島由紀夫の秘められた遺産』(初版帯より引用)

本作は、原則、彼の邸宅を現在と生前の写真とで比較する構図で仕上げられています。生前のまま、というより1970年のあの日、あの朝、彼が市ヶ谷の駐屯地へと家を出たときのまま、時間が止まったかの様に整えられた現在のイメージが、その構図を逆に際立たせています。サンプルとして上げた1枚目の画像に、顕著に現れてるのではないでしょうか?サンプル2枚目は、リビングのソファ中央に佇む三島。亡くなる少し前にNHKのインタビューで、リルケの死生観を引き合いに「もはや現代には名誉の死などない」と答えていたのは、この場所だった筈です。そして、3枚目、主のいなくなったソファ。4枚目は、彼の決意の朝に書き上がった遺稿の自筆原稿です。

川端康成の次は彼だろうと、それこそ今の村上春樹のように毎年のノーベル文学賞候補と謳われながら、そのセンセーショナルな最後で、彼の作品を読んだことない人たちにとっては、ただのキワモノ扱いとなってしまった三島由紀夫。しかし、それは、あながち勘違いや評価間違いなどではないかもしれないと思うほど、その悪趣味とも捉えられる西洋趣味全開の家に「これ、どうよ」というのが第一印象でした。ただ、これが「三島由紀夫」自身なのかと思えたんですよね。その印象は、以降、大きなマークを心に落としました。日本人なのは確かだけれども、所謂、日本の伝統と言われるようなものにまったくリアリティを感じることができず、それよりも3コードやペンタトニック・スケールの方がしっくりくる自分という現実の認識。当時20代半ば、ちょうど海外に出だした頃で、向こうのヤツらは、そんな自分に、分かりやすい「日本」を求めてくる。心の底では困っているんだけれども、嬉しくもある。もはや、目の前に出現してくるものすべてを取り込んで、自分のとっての伝統や血統のようなものを作り上げていくしかない、それ以外に現代日本人にとってのオリジナリティは残されていないじゃないか、と。この意識は、今も土台としてあるような気がします。そして、その意識は、決して「こじつけ」などではなく、必然として「テクノ」へと向かって行ったんだと思います。(ISH)

☆228P
☆美術評論家「篠田達美」による論考も収録。

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